2001年2月 こちらから提示した項目について大槻氏に書いていただきました。 |
1. この4人で現在Registratorsであること 自分達自身の分析を行うというのは強烈なナルシシズムに裏打ちされたギャングメンタリティ、ひいてはくだらない「物語」の美化に直結すると考えているので考えたこともありません。本来バンドというのは音楽集団なわけで個々のメンタリティ、あらゆる「物語」は排除するのが当然だと考えます。「物語」やメンタリティ、諸々の付加が価値に成り得、自分自身で価値と自覚する状況というのは恥ずべき状況だと認識するべきです。あえて自分達自身の事を文章にするならば4人の人間がバンドという小さな小さな社会に身を置き、音を作り奏でる訳ですからあらゆるラグが存在します。そのラグが個々の個性、バンドの特製につながると勘違いをしてしまいがちなのですがラグはラグです。ラグのないスムーズで自然な音楽というのが理想です。「そのものがすでにあったかのような存在」とでも表現したらよいのでしょうか。 2. スタジオでの練習 膨大な時間、スペースが常に確保されているわけでは無いので、全体のバランスを確認する作業に多くの時間を割いているのが現状です。個人の6日間の方が圧倒的に多いわけですから、個々のアイデア、技術が現実的かを判断するのが有効だと考えています。個々人のモチベーションの持続、自覚、責任の所在が、時間を費やしたことによる達成感や方法論の先行によって見えにくくなる事が無いので効率はよいと思いますが、もう少し時間、スペースの確保ができれば理想的だと思います。 3. レコーディング 現在、音楽をよりよいものにしたいと志している人間であるならばレコーディングに関して無頓着というのは白痴以下です。レコーディングは無限です。音響、電子工学、コンピューター、建築、諸々の1つの結集の場所です。楽器やアンプ、ペダル類は当然の事、レコーダー、コンソール、アウトボードギア、マイク 全てに意味があり多くの選択の幅があります。ある回路のたった1つのコンデンサー、ケーブルの長さ、材質、部屋の広さ、高さ、形状、壁材、配線、コンセントの形状、諸々、これら全てをコントロールできるというのは特権をあたえられたもののみ実現可能です。ロジック、フィロソフィ、イマジネーション、インフォメーションはもちろんの事、資本や人とのコラボレートがあって、初めてスタートラインに立てるのです。しかしレコーディングは振幅があるので行う人間に見合ったシチュエーションでしか行うことができない。やはりぶちあたるのは資本力という事になるでしょう。勿論この場合明確すぎるぐらいのヴィジョンを持っているというのが大原則です。「この音に近づけよう」という曖昧で非科学的なモチーフに対するオマージュは通用しないのです。ハッキリといえるのは、レコーディングは90%以上ハードウェアにより成立するという事です。偶然や気合い、感覚、アイデアのみでなんとかなるというものではありません。そういった事は理想的な環境においてのみ、初めて作用するのです。 4. スピード 誰もが魅入られるファクターだと思います。現実の時間軸だけの問題ではないと考えています。あらゆる思考、想像、忍耐、技術、テクノロジーが交錯した時に故意に生み出すことが可能だと考えています。叶わぬ夢だと思いますが何年もかけて建設する超高層建築を超高速でみてみたいものです。しかし非現実的なので音で志しているのです。 5. コード 美しく、悩ましく、苦しいものです。通常自分を含めて使用しているコードは情報により定義づけられた美しさであるというのを認識するのが重要です。情報の外のコードというのは不協和音として処理してしまいがちですが学習、教養によって補え、許容の拡大もある程度は可能だと思います。オリジナルのコードを生み出せるというのは非常にエゴイスティックで無知でデリカシーがなく恥知らずな行為だと思います。コードはディッシプリンであり、厳密に使用しなくてはなりません。本来使用者ができることは正確な配置のみです。コードの浄化が精一杯なのではないでしょうか。 6. メロディ 5線上の横軸。正確に音を配置するのは非常に困難な作業ではあるが音楽の全てではない。一つのファクターにすぎない。作業後の充実感があるのでまどわされないように心がけています。自分にとっては最大公約数、世界における英語のようなものと認識しています。 7. スタイル 誤解を恐れずにいえば、自分自身が無知、無教養なためにパンク、ロックの定型を使用しているにすぎないのではないのかと考え、自分自身に対して疑念を抱いている。スタイルを自認している人ほど退屈でデリカシーが無く、何の疑念を抱くことなくナルシスティックで共同体もしくは他者に依存し受け入れられなければヒステリーをおこすという戦前、戦中の日本の将校のようなメンタリティを持っている人間と感じる。自己のパニックを通過、もしくは受容できていないのでしょう。幼稚です。 8. 色 非常に重要です。各々のコード、音符に対して決まった色のイメージを持っています。真暗な空間に色、カタチが点在し浮遊している。それらを必然に基づき正確に配置を促すのです。自己は触媒であり、カメラであり、流通、交通なのです。それこそが無意味でありながら強烈なイメージのカタパルトに成り得ると信じています。 9. 構築 本来ならば再構築と言った方が適切だと思います。恥を覚悟で言うならば一生の課題として取り組まなければならない最大のテーマだと思います。全てに疑念を抱き、情報の浄化、消去、無化させ、変化、思考を保つことが再構築における有効な手段だと思います。我々が行う次のステップとしては、" 数学的、科学的根拠に基づいたミニマリズム=音の立体化" と定義し実行に移すことを考えています。結果スピード、ポピュラリティが明確になるという予想をたてています。 10. テレビ 退屈している時、怒りのモチベーションの維持のために見るもの。 11. デザインワークス 音にリンクしていて普遍的であるべき。好みとしては、ロシアアバンギャルド、アーキグラムといった集団の作品群に強く惹かれます。 12. PUNK 言葉にしたくないというのが素直な感想。フォロワーの思考欠如のためスポイルされ過ぎたのでしょう。しかし音楽に関してはすばらしい輝きを放ち続けている普遍的なものが数多くあり、これからも放ち続けることでしょう。1990年代において1976〜1983年頃のオブスキュアなパンク、パワーポップ、ニューウェイブは新しい音楽だった。しかしそれらを消費する一方でなんらかの後ろめたさのようなものがあったのも事実です。それらを通過したのち何をするべきかを考えるべきです。 13. 音と音とのスペース 必要不可欠だと思いますが、単純に音数の問題だけではないと思います。作るとか表現といった行為は非常に作為的でエゴイスティックな欲求であり、満たされることのない欲求だと思う。スペース自体は作るのではなく、既にあるのだ。正確な音の配置によってふるえるような圧倒的スペースが表出し、イメージを喰いやぶる。だからこそディティールには細心の注意を払うべきだし、方法論や達成充実感が先に立ち正確なジャッジメントをくだせなくなり、挙げ句のはてには「オリジナリティの追求」といった実体の無いひとりよがりのデリカシーの無い自己正当化に逃げ込むのである。確実に害があり、万死に値すると思う。 14. 無機質 プロセスにおいて無機質は存在しないと考えています。要は無機質にたどりつかせるというのがプロセスが持つ重要なポイントだと思う。余計な物語、メンタリティ、付加の存在を拒否する結果こそがシンプルであり無機質な結果と定義しています。「そのものがそこにある」という事です。共同幻想、相互依存から発生する「わかるでしょ?」というようなキーワードを持つものを全否定します。 15. キラキラしているもの 若さと激しさ溢れる初期衝動。30にもなってそんなものに依存、期待するほど知恵足らずではないので明確なものこそキラキラしているものではないでしょうか? 16. 音数 少数で成立しているものほどすばらしいと思う。しかし原則として少なくする事が目的ではなく、結果として少ないシンプルなものが理想です。"昨日作ったシンプル" よりも "複雑なプロセスを通過したシンプル" こそが求める最高の結果だと考えます。 17. Dry 乾燥しているものは腐らないので乾燥している方が良いに決まっている。 18. 技術 圧倒的な技術は感覚など軽く凌駕することを認識するべきです。聡明で明晰な頭脳と融合すれば完璧な芸術、何も必要としない至高の表現が可能だろう。選ばれた人間のみ許される自由。凡人だと認識することが重要だ。 19. 作曲 尺の中でのみ成立している曲は外に世界をつくれない。イメージをイメージのカタパルトから音というメディアを使い肉体という爆薬で発射する事が出来ていないという事だ。作曲者は触媒と認識していなければ不必要な自己のエゴが介入し正確な配置が促せなくなる。少なくとも "ロックやパンクを作る" という意志においての作曲というのはテレビを見る事よりも非生産的で退屈だ。 20. 歌詞 意味を持つものが良いとされていてうさんくさいリアリティ、ヒューマニズム、マッチョ的シンパシーがこれほどまでに喜ばれるメディアも他に類をみない。音楽においての言葉というのは細胞と同じで意味がなく機能し、他と接触する事により変化して行くのがスリリングなのであってコミュニケーションメソッドとして送り手がとらえた瞬間からベタベタ、ドロドロと腐っていき相互理解の前提を求めるようになる。その結果ナルシスティックなストーリーを生み、おぞましい依存の交尾が始まり、意味が無いという本質が消え意味があり理解しろという強制を生み、受け手はマゾヒスティックな快感をそれのみにおぼえ、求め、正確なジャッジメントができなくなる。醜いループはくり返され、当たり前の物になり全てを支配していく。それに気付き拒否しつづける事が真のアートテロリズムだと考えている。歌詩はパーカッションと定義している。 21. ライブ 余り好きではない。自己演出を無意識にしてしまう可能性があるからだ。しかし、まれに空間を支配したという実感を持てる瞬間があり、ファシズムを理解できる。訓練によって自己をギリギリまで支配し全てと交錯した時、共同幻想のないファシズムが表出する。恐ろしく困難なプロセスを通過しパフォーム出来た時のみおこると考えている。 22. 日常 時間や自意識からの遊離に成功した時に日常が非日常に変わる。平凡で退屈なのは当たり前。大事なのは日常もつまらないが非日常も日常に成り得るということだ。要は行為が繰り返されることが退屈につながる。だから思考しつづけ、変化を求め、動き続けるのだ。 23. VELOCITY モラトリアムの最後のアルバム。今までの2枚のアルバムと何ら変わりが無い。もし変わったと感じているのならばテクノロジーは偉大だという事だ。 24. Pogo Machine 第三者が勝手にシンボリックにするのは結構な事だが、我々には関係が無い。演奏するかを決めるのは我々であってリクエストされたってやらないと決めている時にはやらない。 25. メジャーレーベル インディペンデントレーベルとの違いは金額の大きさと関わる人間の多さぐいらいだ。そんな事で変わるようであるなら風が吹いても変わってしまうような軽い人間なのだと思う。対立化させることほどくだらない事はないので、そろそろ(対立化を)やめたらどうかと思う。皆さんがイメージしているインディペンデントというのは要は個人商店であって、やっている事はメジャーとかわらない。商売になってない小さなレーベルの方々は反論するかもしれないが価格をつけて1円でももうけていれば商売なのだ。個人の意志で規模を拡大しないという以外は営業努力が足りないだけだ。個人商店と株式会社の違いぐらいだ。 26. キーワード キーワードを後生大事にし、意識的、無意識的にせよそれを自己のアイデンティティとし、それ自体を自己のオリジナリティとして勝手に成立させてしまっている人間はクズだ。仲間うちのムード、サロン化したスペースに帰属意識を持ちたがる集団、ボスと用心棒、それらを隠れみのにした仲間内でのコミュニケーションに終始し、満足しきっていると金にすらなれないクズ歩兵ども、全てのつながりを拒否する。すでに日本人というだけで生まれながらにコンプレックスを持たされ続けているのだ。そんな時間は無い。期間限定や地域限定のものになど興味などない。先にも述べたが相互理解の前提、強制の結果など知りたくもないし、ウソにも成り得ないゴミ以下の結果だ。FIRESTARTER
杉山(兄)氏が先日こんな事を言っていた。「誰の奴隷にもならない。誰も奴隷にしない。」正にそういう事だ。付け加えるならば、自身のイマジネーションの奴隷にもならないという事だろう。 . REGISTRATORS 大槻 洋 . . |